|
新しい記事を書く事で広告が消せます。 |
|
おたくさの練習が火・木に‥。
火曜は毎週、木曜は隔週で当直なので、2週間に1回しか練習に行けなくなるのか‥。 再び水、金練習になるのを願う今日この頃である。 沖縄に行ってきました。 とりあえず、写真のみ。 みんな島、こうり島はおススメです。 Oシロさんありがとうございました。 各自のトレーニング風景です。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |
|
とりあえず、報告のみ。
韓国への被爆者健康調査のさなか、狂牛病の抗議デモが滞在先のソウルで過激化し、大渋滞のため空港へのバスが遅れ、最終の飛行機にも乗り遅れ、やむを得ず延泊することとなりました。 ということで、心配する人間がいると困るので、一応無事であることは掲載しておきます。 この下に、おたくさクラブのHPに乗せた文も載せておくことにします。 ・ ・ ・ 被爆者健康調査のため、22日から韓国に行っていました西原です。 さて、いきなり本題ですが・・・。 本来なら28日に帰国し、29日の試合は参上する予定にしていました。 が、しかし。韓国の狂牛病デモによる大渋滞で空港へのバスがかなり遅れてしまい、予定していた最終の飛行機に乗れませんでした。当然観光も制限されました。 ということで、ソウルにもう一泊し、29日は朝一番の飛行機でソウルから福岡に着き、電車で長崎まで戻る予定です。 掲示板を見たら試合が唐津という遠い土地であることを見て愕然としました。 計算上で最短でも長崎に着くのが午後1時前になるので、試合には確実に間に合わないようです。 試合に行けず申し訳ありません。恨むなら韓国国民を挑発したアメリカを恨んでください。 ちなみにソウル市内は超厳戒態勢で、そこらの細い道にも警官と白バイが配置されていました。特に市庁前などの主要な幹線道路はおびただしい警官と警察の護送車で封鎖されており、人っ子一人通る隙間もないくらいの異様な雰囲気です。 |
|
柔道の全日本選手権が日本武道館で行われた。
当直中だったので病院で観ていたが、途中涙が止まらなかった。 井上康生の敗戦である。彼は最後に内股をくりだし、高井に内股すかしを決められ、敗北した。 ここしばらくの井上は、試合途中から攻める姿勢に欠けるようになっていた。彼の父も「不調の原因は精神面にある」と言っていたように、何も技を出せずに敗北することも多かった。もちろん年齢もあるし、大選手だから研究もされつくしている。「仕掛けて大負けするよりは…」という見栄もあったかもしれない。 しかし、今日の彼は違っていた。消耗しきって体も思うように動かない状況の中、井上は技を出した。それも、第一の得意技である内股を。相手が返し技を狙っていることがわかっているにも関わらず!…そして井上は敗れた。 敗北の中、深々と礼をした後の井上の表情は実に穏やかだった。 井上自身が「今回の大会は自分の柔道の集大成」と語っているように、彼自身、これが最後という潮時をひしと感じていたのかもしれない。 そして、井上の父が目を潤ませて言った、「最後まで闘う姿勢を見せてくれた。私は満足です」と。 これを聞き、井上とその父親の気概を見せつけられた感嘆によって、涙が止まらなくなってしまった。 敷島の大和心を人問わば、朝日に匂う山桜花 本居宣長の歌である。美しく咲き誇った桜は、芳しい香りまでも人の心に焼きつけてさわやかに、潔く散っていく。この歌の中で桜と重ね合わせられたものこそ大和の魂なのだ。 国学者であった宣長は、日本の重要な理念の一つとして、「もののあはれ」を提唱した。事象とめぐりあうときのしみじみとした情趣。 哀しみなどの感情を表す「あわれ(哀れ)」という言葉と同様、「あっぱれ」という賞賛の言葉も、同じ「あはれ」という感動詞から派生したものだそうだ。 桜というには長すぎたかもしれないが、29歳(ちょうど自分と同じ年齢です)まで怪我やプレッシャーと戦い抜いてきた男が、自らの最も得意とする技に賭けた様は、実に見事だった。負けてしまったことは悲しいけれど、それ以上に日本の心「あはれ」に相応しい最後だったと思う。 自分が高校に入って柔道を始め、最初に読んだ「近代柔道」の表紙が当時無敵を誇っていた井上康生だった。今、一つの時代が本当に終わった気がして、少し寂しい気持ちになった。 …長文御免。当直がんばります。… |













